この日は、同じ階で他の練習室を使用していたグループが「東京音頭」をずーっと練習していました。
片町文化センターの3階では、7時から9時までの2時間は、さながら、孤児院ミサのグローリア vs 東京音頭、といった感じで、奇妙なコラボレーションが繰り広げられていました。
私は、というと、ピアノでグローリアを弾きながら、頭と心では、モーツァルトを求めているのに、身体と本能は、すっかり東京音頭に取り込まれ、制御不能のクラクラするような状況に置かれ(例えば、目は楽譜を追って、手はピアノでそれを弾いているのに、足は東京音頭の盆踊りをつい踊ってしまう、というような・・・耳は両方のコラボの斬新さに驚いてました・・・)それでも、不快ではなく、ちょっと愉快で不思議な2時間でした。
というわけで、今回は25ページの165小節目まで、練習しました、という事だけしか
ご報告できません。ごめんなさい。。。。。。
次回は、30ページのCum sancto Spirituのフーガから練習します。
それにしても、東京音頭を耳にした途端、子供のころの盆踊りの情景が、目にも耳にも、身体にも蘇って来ました。
櫓の上やその周りで何重にもなって輪を作り、浴衣を着て、下駄や草履をはいて、皆で踊っていた子供時代。太鼓の音まで聞こえて来てしまいました。
体験に裏打ちされている音楽って、一つの音から、一瞬にして音以外の多くの情報が得られるものなのですね。(音楽だけでなく、他のことでもそうでしょうけれど。)
ウィーンに留学してピアノの勉強をしている友人が、こんなことを言っていたのを思い出します。
「ウィーンっ子は、特別にピアノの勉強や音楽の勉強なんてしなくっても、私より、ずっと上手に弾くのよね。特に考えなくっても、自然にあたりまえに歌えてしまうのよね~」
モーツァルトの音楽を、その時代も土地も風習も知らぬまま、ただ大好き!というのも有りかもしれないけれど、想像力を働かせて、前世の記憶をたどりながら、もう一度モーツァルトの音楽を眺め直してみるのも、楽しさ倍増かな~と思えた、貴重な体験の2時間でした。